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カシム追悼2・思い出は慈悲深いか否か
眠れずに、アリババは窓際に座っていた。
穏やかな夜だった。夜空には月も星も輝いていて、風は凪いでいる。
けれど、アリババの表情が晴れる事はなく。
ここ最近は、夜はあまり好きじゃなかった。
する事がなくて、静かで、一人だから。考え事ばかりしてしまう。
考えなくてもいいような事まで、考えてしまう。
元々霧の団の頭領に据えられてからもそうだったのに、先日の一件からはますます酷くなった。
昼間ならいい。誰かといれば、あまり考えなくて済む。
それでなくとも、混乱から立ち直るために奔走している間は、考え事などしている暇はない。
幸い、と言うべきか否か、壊された建物の修繕を始め、街には人手を要する案件が幾つもあった。
する事があればある程、忙しければ忙しい程、アリババにとっては都合が良かった。
胸を焼くようなことを、考えずに済むから。
だがそれもまた、あと数日の話だ。
煌帝国の軍隊に占領されたバルバッドにこれ以上身を置くことは危険だと、アリババはアラジン、モルジアナと共にシンドリアへ向かう事になっていた。
シンドバッドはバルバッドの処遇について、煌帝国との会談を準備してくれると言う。
ジャーファルとマスルールは、シンドリアへ向かう船の準備やら、手筈を整えているらしい。
どちらもこれ以上ないくらいありがたい申し出だったが、アリババに手伝えるものではないのも事実だった。
カチ、と小さな音が手の中で鳴る。
アリババは音源を辿るように視線を落とし、握り込んでいた手を開いた。
手の中に在る、一対の赤いピアス。
アリババに残された、唯一の品。カシムの、そう呼びたくはないけれど、遺品だった。
理性では分かっている。
カシムはもうこの世にはおらず、アリババもまたバルバッドを去らなければならない。
この地での記憶は、良い思い出ばかりではなかった。
それでも、故郷だ。ただそれだけで、特別な場所だ。
そこを追われるように後にしなければならないのは、やはり複雑だった。
宝物庫襲撃後は、逃げた。責任からも、裏切られたという事実からも。
だが今回は違う。
アリババはこの国を支えたかった。たとえ自分の手で救うことは出来ずとも、変えたかった。
この地に暮らす人々が、笑っていられるように。アリババがそう思ったように、この地を大切に思って貰えるように。
けれど、この場所にはもういられないのだと、言う。
分かっている、はずなのに。
心は納得してくれない。
駄々をこねて置いていかれた子供のように、失った事を理解出来ずに茫然と突っ立ったままで。
そうして一人になると、どうしてカシムはどこにもいないんだろう、と小さな声で呟いてきたりする。
どれだけ言い聞かせても、理路整然と説いても、宥めすかしてみても、聞いてくれない。
壊れているかのように、どうして、と繰り返すばかりだ。
そう言われるたびに痛いのに。心が引き裂かれ血を流すような気がするのに。
それでも心は、問う。カシムはどこなんだろう、と。
泣きながら震えながら、もうどこにもいないひとを探し求めている。
自分の心のはずなのに、まるで他人事のようだった。
冷めた目で見下ろす心は、自身のものでありながら滑稽にしか見えなかった。
覗き込んでいた手のひら、その上に乗せられたピアスにぱたぱたと水滴が落ちた。
「……あ」
自身で気付かぬうちに、涙が溢れていたらしい。
アリババは、けれど落ちる雫を無感動に眺めているだけだった。
どうして、俺は、俺の心はカシムの死を、認めたくないんだろう。認められないんだろう。
いつまでも涸れない涙に溺れているのは、誰なんだろう。
頭と心が切り離されてしまってでもいるようだった。
どちらもが自分の内側に在るのに、てんで反対の方向を向いてしまっている。噛み合わないちぐはぐさが、ただ気持ち悪い。
昼間に、誰かといる時に、何かに集中している時には呑み込み押し込めている感情が、夜になり一人になると、抑えられなくなる。
苦しい、と。泣いているせいで若干乱れた息を吐きながら、そう思った。
泣きながら、ぎゅうと手を握る。
握った手を額に押し当てて、アリババは痛みを耐えるような表情で目を閉じた。
手の隙間を零れ落ちて行く砂を留めることは、出来ない。記憶も思い出も、それと同じようなものだ。
全部を手放したくないなんて、きっと傲慢な願いだと分かっている。
それでも、願わずにはいられなかった。
かち、震えた手の中でピアスが音を立てた。
「……そ、っか」
呟いたアリババは、手を下ろし目を開いた。
その視線は、手の中のピアスに注がれていた。
遺されたもの、残された人、残してゆく人、どちらが哀しいか辛いかなんて、分からないし分かりたくもないし、比べる気もない。
ただ、忘れたくない。そう、願うのは、思うのは。
きっと、間違いじゃない。そう信じたかった。
流れる涙を乱雑な手つきで拭ったアリババは、くるりと踵を返し窓際から離れた。
「っ、く……うー……」
ぶつり、と音がした。耳元だからそれはダイレクトに鼓膜に響く。
次いでアリババは押し殺した声で呻いた。決心し実行したまでは良かった。
だが、想像はしていたものの軟骨部分に開けた穴はひりつくような痛みをもたらした。
顔を顰めながら、布で耳を押さえる。
左耳の上部に開けた二つの穴、そこに収めたのは。
カシムの遺した、赤いピアスだった。
「い、て……」
痛みを散らすようにゆっくりと息を吐く。
暫くは痛みが続くかもしれない。だが、後悔はなかった。
この痛みと一緒に、何一つ消えなければいい。そんな風に思いさえする。
カシムがいたら、バカだって笑ってたかな。
考えて、アリババもまた少しだけ、笑う。
遺されたものと寄り添い、生きていく。
「……忘れてなんて、やらねーからな」
挑戦的に言って、けれどすぐに俯く。
俯いたアリババの口からは、呻きと痛い、という言葉が零れた。
苦しいし、哀しいし、淋しい。おまけに痛い。
忘れたくない、忘れたりしたくない、それが優しいばかりの記憶じゃなくても。
何よりも本気で思うのに願うのに、人は忘れていく。
遠くなる時間は、そのままの距離で人の心から思い出を、記憶を遠ざける。
勿論そればかりが理ではないと、分かっているけれど。
だけど、俺は忘れたくない、忘れたくないんだよ。
嬉しいことも、哀しいことも、楽しいことも、苦い記憶も。全部全部、憶えていたいんだ。
その一つ一つが、全て俺で、ぜんぶがあいつだから。
優しいばかりじゃなくてもいい、思い出を遠ざけたりしたくない。
泣けるほどに、痛い。
なんて、言い訳じみた事言ったら、さ。
お前は呆れて笑ってくれるかな。
なあ、カシム。
問いへの答えは、もちろん、なかった。
END
続きでした。
現時点で殆ど語られていない空白の半年の隙間話。
…原作で出たらどうしようかな…