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恋、未満。 【その手にひかれた】
目を開けた、その瞬間。喉元までせり上がって来た悲鳴を、オルバはどうにかこうにか呑み込むことが出来た。
身体は動かさないまま室内に視線を巡らせ、まだ夜明けには遠い頃だと判断し自身の咄嗟の行動に安堵の息を吐く。
自分の迂闊な行為で弟妹たちの眠りを妨げるなど、あってはならない事だ。
オルバが何にそんなに驚いたのかと言えば、目の前に見慣れない人物が横たわって寝息を立てていたからだ。
見慣れない、とは言え知らない人間ではない。もしそうならとっくに蹴り飛ばし追い出している。
オルバの前で寝転がっているのは、大聖母の元で海賊行為に手を染めていた彼らの身柄引受人ことアリババだった。
状況が分からず混乱してしまったが、アリババは先日シンドリアに帰還したのだ。
帰って来たその夜は剣の師である八人将を含めた所謂国の上役たちと顔を合わせていたらしいが、今夜はお前らと話したいんだ、などと言ってオルバたちの元を訪ねてきたのだった。
オルバ自身は特に報告するような事もないと思っていた、というか正直な所そんなに話をする事が好きな性質でもなかったのでどうしようかと思案していたのだが、アリババは何故かやたらと幼い弟妹たちに懐かれていて。アリババの来訪を喜ぶ彼らの顔を見ると断りの言葉を紡ぐことは憚られ。
更には俺の旅先での話も聞いてくれよな、などと言われては追い返すことなど出来るはずもなかった。
その流れで何故今一緒に寝ているのかと言えば、アリババが元より泊まるつもりでこの部屋を訪れたから、としか言いようがない。
一時期離れていたとは言え、彼の扱いは未だ食客であるらしいし、そうでなくとも王宮にはそれこそ賓客用の部屋など幾らでもあるだろう。師であるという八人将を筆頭に、アリババがこの国に歓迎されているのはオルバの目から見ても明らかだ。
にも関わらず、今夜はここで皆と雑魚寝をするんだ、と言ってのけたのだ。
何を言い出すんだ、と呆気にとられている間に幼い弟妹たちは大喜びするし、彼らをまとめる年長者たちも準備を始めるしで、気付いたらオルバ一人が反対する余地など残されていなかった。
そうして、今に至るのである。
状況を思い出したオルバは、息を吐き強張っていた身体の力をゆっくりと抜いていった。
アリババと楽しそうにしている弟妹たちを余所に、オルバは殆ど喋らなかった。自分でも面白味のない態度だな、と思う。
別にアリババを疎んでいるとかそういう話ではなく、元々喋る事が好きなわけではない性格に加えて、弟妹たちの方を優先したが故に自然とそうなったのだ。
それに、そう面白いとは思えない自分の言葉を聞かせるよりも、アリババの声を聞いている方がずっと有意義な時間の使い方だと判断したのだ。
アリババの声は、不思議な響きだった。特に大声でもなく、誰もが振り返る美声というわけでもない。それなのに、何故かその声を聞いていたいと思わせる何かがある。
そう思っているのが自分だけなのか、それとも他の兄弟たちも同じなのかは分からない。
救われた恩義がある、ただそれだけでこんな心地を抱くものなのだろうか。
分からない。ただ、事実としてオルバはアリババが傍らに来ることを拒まなかった、それだけの話だ。
そう、いざ就寝という段階になってアリババは迷うことなくオルバの横を選んだのだ。
特に率先して話しかけていたわけでもないのに、何故か。
目の前にいるアリババは勿論、兄弟たちも皆眠りの中のようだった。
部屋を満たす静寂と寝息は、オルバの耳を心地良くくすぐる。
この空気の中に、いわば異質であるはずのアリババは当たり前のように溶け込んでいた。
元々が些か童顔ぎみであるアリババだが、目を伏せているともっとそれが強調されている。少しだけ開いた唇といい、子供のような寝顔だった。
まじまじと寝顔を見つめ、オルバはふっと口元を綻ばせた。
オルバたちの命運を分けた、あの日。アクティアの港でのアリババは、ひどく大人に見えた。
魔法道具も押収され言わばただのごく潰しでしかない自分たちを引き取ると、兵士たちに申し出て交渉した時。
何もかもを投げ出そうとしていたオルバに、それでも生きろと告げた時。
港での別れ際、弟たちを見ていろと言った時。
泣き顔さえ見せていたアリババは、確かに頼りがいのある、とまで言い切るには足りないのかもしれない。
だがそれでも尚、オルバの目から見たアリババはひどく大人に、自分からは遠い場所にいるように映ったのだ。
何の関わりもないどころか、敵対していた筈の自分たちに真正面から向き合い、臆することなく生きろと告げられた。
正直な話、あの時アリババが告げた言葉が本当に正しかったのかどうかは今のオルバにはまだ分からない。
自分たちの人生が良いのか悪いのか判断出来るほどの長さを生きていないのだと、最近では何となく分かって来たから。
けれど。
行く宛てのなかった自分たちの為に心を砕き、生きろと声を上げたその真摯さだけは、本物だと感じている。
多分それが得がたいものなのだという事にも、気付き始めていた。
「!」
オルバが驚いたのは、もぞりと身じろいだアリババがうっすらと目を開いたからだ。
寝起きらしいどこかたゆたうような眼差しは、ふわふわと天井や周囲を見定めるように彷徨っていたが、やがて。
隣りにいるオルバに目線を向けると、起きていたことに驚いたのだろう、その目がぱちりと瞬いた。
アリババは少しだけ困ったような顔で、それでもふっと笑った。
「やっぱり落ち着かねえか? 俺、いると」
「……別に、平気だけど」
「そっか?」
「嫌だったら、最初から断ってた」
「……そうだな。お前は、そういうタイプだよな」
眠っている弟妹たちを起こさないように気遣っているのだろう、アリババの声は潜められ囁き声にも近いものだった。
オルバもまた、同じような音量で返す。
小さな声での会話は、まるで内緒話でもしているかのようで。
「けど、みんな元気そうで安心した。お前に任せて、良かった」
「俺は……」
「ありがとうな、オルバ」
何も特別なことは、してない。
そう言うよりも早く礼の言葉を述べられてしまった。
ありがとう、と。まるで対等であるかのように気安く。
年齢よりも聡いオルバは知っている。
今でこそ王子という肩書きを名乗ってはいないが(その辺りもまた曖昧で複雑らしいが)、それでも迷宮攻略者でありシンドリアの食客であるアリババは、本当はこんな風に気軽く接していいような立場ではないのだと。
アリババ本人は全くと言っていい程頓着しないし、この国はそもそも王が型破りだからか身分や立場といったものにそううるさくはないけれど。
本当は。本当はもっと、遠いはずの。
「っ、なに……」
「また、顔見れたなー、とか。触れる位置にいるなーとか、そういうカンジ?」
へへ、と気の緩み切ったような顔でアリババが笑っている。
ふわふわとどこか漂うような眼差しをしているのは、目が覚めきっていないからだろう。今喋っている事さえ、もしかしたら夢現での事なのかもしれない。
だがオルバはそれどころではなかった。
目を瞠って固まっている視線の先にあるのは、自身の左手に重ねられたアリババの手のひらだった。
剣を握っているからだろう、その手のひらはお世辞にも柔らかいとは言い難い。
戦う者の手だ、そう思う。
アリババの手は、体格差からすれば当然のことだがオルバのものより大きくて。
その差異が、そのまま保護され護られているだけの自分とアリババの関係そのもののようで少しだけもどかしかった。
家族以外の誰かにこんな風に触れられるのは初めての事かもしれない。
偽りの関係ではあったが自分が母と呼び慕っていた彼女は、頭を撫でてくれたりはしたけれど手を引いてくれた事はなかった。
そうだ、俺は、俺たちは、直接じゃないけどこのひとに手を引かれて、この場所に来たんだ。
拠り所を失い行き先も分からず呆然としていた俺に、それでも生きろと。
この人が、この手が、俺に。
「……寝てるし」
ぐるぐると考えに沈み込みかけていたオルバを現実に引き戻したのは、アリババの寝息だった。
我に返りアリババを見やれば、瞼は伏せられすっかり夢の中の住人といった様子で眠っていた。
まるで、一瞬目を覚ましたことすら夢か幻であったかのように。
未だ重なったままの手がなければ、オルバ自身ひそやかに交わした会話を夢だと勘違いしたかもしれない。
オルバは穏やかに眠るアリババを眺めながら、胸中に今まで抱いたこともないような感情が浮かんでくるのを静かに感じていた。
大人に、なりたい。早く早く、もっと早く。
背も力も、もっと欲しい。もっと、もっと。
このひとの背を支えられるぐらいに。生きろと、生きてもいいのだと言ってくれたこのひとを守れるぐらいに。
庇護され与えられるばかりなんて性に合わない。
救い守ってもらえたその分を、返したい。
この手が、いつかアリババに負けないくらいの大きさになったら、その時には。
自分は、彼の隣りに並び立つぐらいの強さを、手に入れられているだろうか。
強くなりたい。
焦がれるような強さでそう思索しながら、オルバはそっと目を伏せた。
躊躇いながらもほんの僅かに握ったアリババの指は、何だか泣きたくなるぐらいに暖かかった。
まだまだ未満、だけど前進? みたいな。
オルバは! 絶対! いい男に! なる!!!