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死に至る病を呑み込んだ先は
「お前だって本当は、気付いているんだろう?」
ふ、と口元を歪ませながらジュダルが言う。
その、笑みと呼ぶには何かが逸脱しているような表情を目の前にして、アリババは腹の底が落ち着かない気分になるのを感じていた。
厭な予感が、する。
それはジュダルの元に囚われてからずっと付き纏い続けていた感覚だ。
「何の、話だ」
問い返す。
無視する事も出来たのに、そうしなかったのは単なる意地だ。聞かなかったふりをするのは、逃げている事になるような気がして。
喉の奥から押し出すようにして発した声に、その言葉の内容にジュダルが瞳を細めた。
頭と心の奥底で鳴り響く警鐘がうるさい。けれど、ここまで来たら逃げる事は出来ない。
密やかに拳を握ったアリババの顔を覗き込むように近付きながら、ジュダルはとん、とその指でアリババの肩を突いてきた。
「何をしたって、どこまで行ったって、結局……人は、独りなんだって事にだよ」
「……え」
「お前が誰かと一緒にいたがるのは、優しさなんかじゃねえだろ」
「な、に」
厭だ、いやだ、やめろ。
聞きたくない、そう思うのに喉が塞がれているかのように、声が出ない。
ジュダルを突き飛ばしてでも、言葉の続きを止めたいと思うのに。腕が動かない。
呆然とジュダルに視線を向けているアリババをどう思っているのか。見上げている先、ジュダルの顔にはどんな感情も乗っていなかった。
いつもなら、アリババをからかうようにニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら話すのに。
アリババの反応がない事に焦れる様子も見せず、ジュダルは更に言葉を続ける。
「孤独だから、傍にいてくれる存在が欲しいんだろ。なあ」
「ちがう」
「嘘ばっか。トモダチだの何だの、温い言葉で誤魔化してるだけじゃねえか」
「違う、俺は、おれは……っ」
ふるり、首を振る。
震える声で、否定の言葉を告げる。
だがジュダルは、アリババの心境など見抜いているとでも言いたげに、ふっと笑っただけだった。その笑みが、いつも見せているような人を小馬鹿にしているようなものとは違っていて、それに気付いてしまったことにも動揺する。
心臓が、おかしな具合に跳ねた。
笑うな、違う、俺は。
乾いた喉の奥に、言葉が張り付いているような気がする。
「分かるんだよ」
「お前に、なに、が……」
「分かる」
肩に触れていた指が動き、手のひらがアリババの肩を掴んだ。その手に、指に、ぐっと力がこめられる。
逃れることを許さないとでも告げるかのような、強い力だった。
痛みに僅かに眉を寄せたアリババに、ジュダルはまるで口付けでも強請るかのように顔を近付けて。
「俺も、同じだからだよ」
瞬間、悟る。
ジュダルの瞳の奥に宿る光、それがどこか自分と似通っているのだと。
奥の奥にしまいこみ隠し、自身でさえそんな感情を抱えているだなんて忘れてしまいそうだった、それを。
何故ジュダルだけが見抜けたのか。
簡単な話だ、ジュダル本人が告げたように根底で同じ感情を持っているから。
「……」
口を開くが、言葉が出て来ない。
何を言いたいのか、言えばいいのか、分からなかった。
アリババはただ呆けたように、ジュダルの瞳を見返していた。
目は、逸らされない。
呑まれてしまったかのように、動けない。
「俺といろよ。俺なら、分かってやれる」
お前の孤独も、寂しさも、虚しさも、ぜんぶ。
言ったジュダルに引き寄せられた。
抱きしめられ、けれど拒否することが出来ない。
胸中を、それもひた隠しにしてきた誰にも暴かれたことのない感情を言い当てられ、動くことも儘ならなかったのだ。
突き放さなければいけない。この腕を受け入れる訳にはいかないのに、振り払わなければならないのに。
腕に、力が入らない。
「頷けると、思ってるのかよ……?」
口の中が乾いている。それでもどうにかこうにか言葉を絞り出して、首を振った。
力の入らない指先を隠すように、そっと握り込む。
暴かれ晒された心の奥底は、しかし紛れもない事実としてアリババの前に在った。
人は一人だ。
そう思うようになったのがいつなのか、アリババ自身にもよく分からない。
母を病で失った時か、カシムに突き放された時か、王宮で味方のいない淋しさに耐えていた時か。
だがアリババの根幹を支配する寂寥と、ジュダルの誘いに乗る事とはまた別の問題だった。
ジュダルの言葉に嘘はない。
アリババが抱えるどうしようもない孤独感も、ジュダルが似たような気持ちを抱いている事も。
同じだからこそ、間近で接していれば厭が応にもそれは理解できた。ジュダルが余程の演技派でなければ、の話だが。
だからと言って、安易にジュダルの手を取る事は出来なかった。
自分を信じてくれる人も、頼ってくれる人も、期待を寄せてくれる人もいる。向けられるどの感情をも裏切るような真似が出来るはずもなく、したいとも思えない。
「お前の周りの奴らは、お前の孤独なんざ理解しちゃくれないぜ?」
「……理解してもらいたいわけじゃ、ない」
「ふーん?」
強がりではなく、拭い去れない孤独を誰かに理解して貰いたいと思ったことはなかった。
だからこそ胸の奥深くに閉じ込めて、自分自身でさえ普段は忘れていたというのに。
それをわざわざ暴いたジュダルに、少しだけ苦い想いが込み上げる。眼差しにもそれは浮かんだ筈なのだが、アリババの肩を抱く腕は緩まないまま。
間近にあるジュダルの顔には、いつも浮かんでいるような酷薄そうな笑みはなかった。ただ、アリババの本音を見定めようとでも言うかのように僅かにその目が細められている。
放った言葉に嘘はないのに、落ち着かない気分になる。
値踏みするような目とは裏腹に、背に回された腕は暖かい。そのちぐはぐさに、意識がかき乱される。混乱する。
「いい加減、はな、し」
「離れたいなら、突き飛ばしてみれば?」
哂いながら、ジュダルが言う。
今のお前には、出来ないだろう?
言外にそう込められていて、そしてそれがあながち的外れでもないことに頭が痛くなる。
晒され暴かれた本音は痛く、アリババの芯をびりびりと震わせているようだった。
それでもジュダルの言葉通りになるのは癪に障る。目を伏せ、のろのろと腕を上げかけた、その時だった。
「……俺が、お前の孤独に寄り添ってやるからさあ」
小さな小さな、まるで聞こえなくてもいいとでも言わんばかりの声音で、ジュダルがぽつりと呟いた。
アリババはその声にぎくりとし、伏せていた瞼を開けた。半ば呆然としたまま、ジュダルの顔を見やる。
ジュダルは相変わらずアリババを真正面から見据えていた。
まっすぐに向けられる眼に宿る光は、夜空の底で寂しく瞬く星のようだと思った。
俺も、こんな色を宿しているんだろうか。
思わず手を伸ばして掬いあげたくなるような、あんな色を。
「俺の空っぽな部分を、お前が埋めてくれよ」
ひび割れたような声。
背中に回された腕が震えている事に、ようやく気付いた。
寒いわけでは決してないのに。
孤独は苦い。飲み下すのにはひどく勇気がいる。思わず目を逸らし、逃げ出したくなるくらいに。
それでも一度知ってしまった物から逃れる事は叶わずに、ただ抱え込みながら生きていくしかない。
寂しさはいつだって、痛みを伴う。
泣いて喚いてそれで何とかなるような物なら、恥も外聞もなくとっくにそうしている。
けれど、心の奥深くに根ざしている感情はそう簡単に剥がす事も出来ず。
慣れることはあれど、その痛みが消え去るわけではないのだ。
ひとりは厭だ。哀しい。寂しい。
誰か。だれか。
泣き過ぎて枯れた声を、誰にともなく伸ばした指に、気付いて、そうして。
暖め、寄り添い、抱きしめてほしい。
幼子のような希みは、ささやか過ぎて誰に気付かれる事もなくここまで来てしまったのだろうか。
それとも、知られていながら尚、無視され踏み躙られていたのだろうか。
凍えた手と手は、いくら重ね合っても決して暖かくなどならないのに。
分かっているのに、震える腕を振り払えなかった。
暖め合えなくても、凍え震える心を突き放せない。そうしてしまった瞬間に、ジュダルの心も自分の心も粉々に砕け散ってしまいそうだと思ったからだ。
「……ばかだな、おまえ」
呟いた声は、自分のものなのに何故か酷く幼く聞こえた。
否定でも肯定でもない言葉の真意は、しかしちゃんと伝わったらしい。
ジュダルがアリババの肩にもたれるように頭を乗せてくる。
どこへも行けない。分かっているのに立ち尽くしているだけの俺は、きっと傍から見ればバカに見えるんだろう。
だけど、それでも。
孤独に震える心を放り出してまで向かう世界が美しいのかと問われれば、それには否と答える。
決して褒められた行動ではなくとも。咎められると承知の上で、尚。
そろりと腕を動かしてジュダルの背中を抱き返せば、驚いたのか一度身体が強張った。
けれど、次の瞬間に肩と背に回されていた腕に力が込められた。痛い程に。
決して相容れないと思っていたジュダルだけがアリババの内に潜む孤独に気付いたなんて、まるで皮肉のようだ。
絶望を呑み込んだ先に何が在るのか。
同じ孤独を抱えるジュダルとならば、見えるものもあるのかもしれない。
考えて、苦笑する。
もし何もなくても、どこへも行き着けなくとも。
寄り添うと、そう決めたのは他ならぬ自分だ。
後悔はしない。