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きっとそれは、ただ一つの
カシムは、アリババがいる部屋の扉、その横にある壁にもたれて葉巻を銜えていた。
中からは押し殺しているのだろう、微かな嗚咽が漏れ聞こえてくる。
元々は、おそらく眠れていないであろうアリババと話でもしようとここへ来たのだった。
けれど。
扉に手を掛けようとしたその時、聞こえてきた呟きに、動きを止めていた。
アリババが呼んだのは、妹の、マリアムの名だったから。
スラムに強いられた政策を知り、霧の団のリーダーになれと言われ、混乱していた中ではゆっくり哀しみとして理解することが出来なかったのだろう。
一人になって、マリアムの死を痛みとして実感したらしかった。
泣き虫なとこは、変わってねぇのか。
ゆっくりと煙を吐き出しながら、思う。
何も知らなったことを、後悔しているのだろうか。
何も出来なかった、無力感に苛まれているのだろうか。
マリアムを失ったその時のカシムと同じように。
けど俺は、こんなには泣かなかったな。泣けなかった。
多少は涙が零れはしたけれど、失ってしまった、その喪失感にただ呆然としていたような気がする。
己の手の中にはもう、何もないと。
スラムを去ったアリババの事は死んだものだと自身に言い聞かせていたから、カシムにとってのマリアムは守るべき唯一だった。
それを、支えを失ったあの時に、この心はきっと一度死んだのだ。
二年前の事を思い返す。あの夜唐突に訪れた、アリババとの再会を。
もう二度と見えることはないと思っていた人物との再会がカシムの心にもたらした最初の感情が何だったのか、大分時間が経った今でもよく分からない。裏切りを決めた、その時の気持ちがどうだったかも。
歓び、懐古、嫌悪、驚き、全てが当てはまるようで、けれどどれも違うような気さえする。
一度空虚を抱えてしまった心は、まるで全ての感情が凍りついてしまったようだった。
王宮の宝物庫を襲撃したその後に、第三王子であるアリババの消息が知れなくなったと聞いた時も、冷えた心は何も感じなかった。
目を閉じる。背後から、アリババの嗚咽は続いていた。
聞きながら、思い出すのは。
幼い日、スラムで共に生きていた頃のこと。
母を失ったアリババが、誰もいない場所で一人こっそり泣いていた、そんな場面だった。
そうだ、あの時もこうしてアリババの嗚咽を聞いていた。
誰にも涙を見られない為に一人になってから泣いているアリババに声をかけることなど出来なくて、けれどその場を離れることなどもっと無理で。
不意に思い出す。どうして、忘れていたのか。
なあ、俺は、お前らを、お前を、守りたいって、そう。そう思って、いたのに。
力が欲しいと思った、最初の理由。
生きていく為、それだけではなく明確に力を欲した、原点。
足元がふらつきそうになって、もたれていた壁に音を立てないようにしながら手をついた。爪の先が、がりりと壁に立てられる。
伏せていた目を開き、葉巻を持っていない方の手でぐしゃりと髪をかき乱した。
混乱する。動悸が早い。
まるで沈められていた水底から浮き上がってきたかのように、世界の音が、色が、クリアになるような。
「……ああ、そうか」
ごくごく小さな声で、呟く。
まだ、終わってなどいない。過去の話じゃない。
マリアムはもういないけれど、今は。
手の届かない王宮ではなく、すぐ隣りに、手を伸ばせば触れられる位置に、アリババはいるじゃないか。
それも、今は、今なら、何も出来なかった、無力で力のなかったあの頃とは違う。
力はつけた、仲間だって大勢いる。
俺の心を生かすのは、もうお前だけなんだな。
そう納得したら、迷う必要はなくなった。
もたれていた壁から背を離し、アリババの部屋へと向き直る。
そのドアに、とん、と手をついて。
「お前はただ、ここにいりゃいい」
口元に薄く笑みを刻みながら、囁くような音量で呟いた。
いつの間にか、嗚咽は止んでいた。
END
「大切なものばかりが失われていく世界の中で」をカシム視点でお送りしま……ヤンデレになった。
しかしカシアリストの中ではカシムにとってのアリババは世界に繋ぎとめる唯一の存在だったってのが正しい見解だと思うのですがどうなのでしょうか。少なくとも私は以下略。
互いに「守りたい」と思っていて、互いに依存しちゃうカシアリ。
そんなカシアリがとっても好きです。
でも幸せなのも好きです。
……まあカシアリが好きなんだよーって話。