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大切なものばかりが失われていく世界の中で
静かな、夜だった。
チーシャンからここまでの旅で体は疲れているはずなのに、目が冴えて眠れなかった。
寝台に横たわっても訪れない眠気に、諦めて窓際に座る。
空には月が煌々と輝いていた。
色々と清算しようと戻ってきたバルバッド、そこで出会ったカシム、そのカシム率いる霧の団に迎え入れられ、そのまま頭領へと担ぎあげられ。
街で聞いた噂話の中では、国軍と衝突し盗みを繰り返す盗賊集団だった霧の団。それが、中に入れば彼らにも込み入った事情と理由があるのだと分かり、身動きが取れなくなった。
嫌になるのは、何より自分自身がだ。
バルバッドへ戻ってきたのは、事の真相を話すためだった。
なのに、スラムの事情を聞いた今となっては、王宮へ足を向けることも出来ず。
「結局……変わってねーじゃん、俺」
自嘲ぎみに笑いながら、呟く。
覚悟を決めて戻ってきたはずの、バルバッド。
なのに、その覚悟すら簡単に崩れてしまった。
団員たちは、突然頭領へ据えられたはずのアリババに何を言うでもなく。
カシムの指示だから口を出さないだけなのかとも思えば、比較的友好に迎え入れられて逆にアリババが途惑ったくらいだった。
盗みを正当化するつもりはない。罪は罪だ。
それでも、彼らにも生きる権利はある。それは、生まれてきた者すべてに与えられる当然の権利だ。
生きるために奪う、それを真っ向から声高に否定出来るだけの意思は、国の政策を知ってしまった今となってはもうなかった。
何も知らなかった。
スラムでの事も、国が強いた酷い仕打ちも。
知らずにいた事ですら、罪のように思えた。
カシムに霧の団に入る事を乞われ、断れなかったのはそれもまた理由の一つだった。
誰もかれも、ただ生きていきたいだけなのに。
どうしてたったそれだけの事が、当たり前のことが、難しくなっているのだろう。
このままでいいのか、このまま霧の団に身を置いてそれが正しいのか、どこからか問う声がするのが分かる。
だが、どうすればいい。何が正しい。
考えなければならない事が多すぎて、知ってしまった事実が重すぎて、頭が痛かった。
違う。
それもあるけれど、今は。
今胸の内を支配するのは、そのどれでもなく。
ただ。
「……マリアム……」
凍てつくような哀しみばかりが、心の中で渦巻いていた。
唇から零れた、名前。
カシムの、そして共に暮らすようになってからはアリババの妹でもあった、マリアム。
母一人子一人だったアリババにとって、マリアムは初めて出来た守るべき存在だった。
家族になって最初におにいちゃんと呼ばれた、その声を忘れていない。
寒い日にはマリアムを真ん中に三人で寄り添い合って眠った。
マリアムが風邪を引いた時に、不安そうに差し出された小さな手の熱さを今でも昨日の事のように覚えている。
なのに、マリアムはもういないのだと言う。
アリババの知らない場所で、冷たくなっていったのだと、カシムは言う。
大切だったのに。守りたかったのに。
見てもいないはずのマリアムの亡骸が、幼い日に見た母のそれと重なりちらつく。
唇を噛み俯くと、知らぬ間に浮かんでいた涙が頬を伝った。
誰が見ているわけでもないのに、慌ててそれを手で拭う。
けれど涙は次々と零れて。
喪失の痛みに慣れることなどないのだと、思い知らされたようだった。
流れた涙が、ぼたぼたと脚の上に、脚の上に置かれた手に、零れ落ちる。
「……うっ……」
マリアム、ごめん。ごめんな。
何も知らなくて。助けてやれなくて。
俺は、お前の兄貴だったのにな。離れていても、血が繋がっていなくても、家族だったのにな。
苦しかったか? 辛かったか?
傍にいてやれなくて、ごめん。
けど、優しかったお前は、きっと母さんといるだろ?
うんと抱きしめてもらって、甘やかしてもらって、笑っていてくれよ。
俺は、……俺は、カシムと、いるから。そう決めたから。
だから。
アリババは、泣き濡れた瞳で自身の手のひらを見下ろし。やがてそれをぐっと強く握り込んだ。
失わせたくない。失いたくない。もう、何一つも。
この手の隙間から零れ落ちていくものを、ただ守りたい。
今の自分は母を失ったあの日のような、何も出来ない、ただ守られているばかりの子供じゃない。
成長したし、力だって、ある。
その指がそっとなぞるのは、欠かさず身につけているナイフ、その鞘だ。
いつからか刻まれていた、印。
そこに宿る力を、使う決意。
たった一人残された家族を、カシムを、守りたいと思った。
哀しくも逞しくも残酷でも愛おしくもある、世界の中で。
何が正しいかなんて、未だ本当は分からない。
けれど、それなら。
ただ大切なものを守るために、この刃を使おう。
もう、知らない場所で失うのは、失った後悔で泣くのは、いやだから。
迷いの、後悔の、涙の中で。
それでも、決めた。
ナイフの柄を握りしめたその指が震えていることには、気付かないフリをして。
END
「君の不安を拭うにはこの手には力が足りなくて」のアリババ版。
霧の団で頭領として振る舞うには、相応の覚悟と迷いがあったと思うわけでして。
それでも霧の団を、スラムの皆を「兄弟たち」と呼んだアリババくんはどんな心境だったのだろうか、っていう。
あと幕間でマリアムの死を悼んだりしてるんじゃないかなーっていう。
そういう話でした。
アリババくんは自分の優しさを甘さとか迷いだとか思っちゃってる節があるよねえ……
そりゃーカシムが以下略。