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君の不安を拭うにはこの手には力が足りなくて
マリアムが体調を崩したのは、アニスが亡くなって一月ほど経ったある日のことだった。
仕事中に倒れたマリアムは、どうやら流行り風邪を貰ってしまったらしい。
カシムが戻ってきた時、アリババはマリアムの枕元に座り、泣き出しそうな顔で看病をしていた。
「アリババ」
「っ! カ、シム。おかえり」
声をかけるまでカシムに気付かなかったらしいアリババは、びくりと肩を揺らし。
カシムの顔を認めると、安堵したように息を吐いた。
寝かされているマリアムの頬は上気し、どうやら熱は引いていないようだと分かる。
「具合は」
「俺が帰って来た時より、ずっと落ち着いてるよ」
「……そうか」
頷くと、アリババはマリアムの額に置いてある手ぬぐいを、そっと取り替えた。
優しく、愛おしいものに触れ、慈しむような触れ方だった。
だが裏腹に、アリババの表情には深い不安が見て取れた。
それは、不安と言うよりもきっと、恐怖に近いもの。
カシムにもマリアムにとってもそうだが、アリババにとってはもっと深く強く心の内に根ざす、失うかもしれない、という恐れ。
「俺代わるから、お前ももう寝ろよ」
「えっ、いいよ、平気だし。眠くないしさ」
「眠くなくたって、疲れてんだろ」
「……マリアムのこと、心配で寝れねえよ」
疲れている事は本当なのか、否定しなかったけれど。
俯いたアリババが小さな声で言ったその声音は、どこか泣き出しそうに震えていた。
アリババはすぐ泣くけれど、決して弱くもないし意思だって強い。
おまけに意地っぱりだから、一度言い出したら何を言っても聞かないことも知っていた。
きっとこの様子では、カシムが何を言おうと一晩中マリアムの看病を続けるのだろう。
不安に揺れる瞳で。それでもきっと、マリアムには大丈夫だよ、と微笑んでみせたりしながら。
考えると、何故か胸の内がざわつくような気分になって。
カシムはくるりと向きを変え、天幕を出ようとした。
当然、アリババがそんな背中に不思議そうに声をかけてくる。
つい今し方戻ったばかりなのに、と言いたげに。
「カシム? どこ行くんだよ」
「飯。お前、その様子じゃ食ってねえだろ」
「あ……忘れてた」
「どっかで貰ってくる」
「……うん」
熱を出している妹と、不安そうなアリババを残していくのは気が引けた。
だが、今はこれ以上この場にいられなかった。
それでも、カシムは天幕を出る間際にぴたりと足を止め。
振り向きはしなかったものの、一言。
「マリアムのこと、頼む」
「おう、任せろ」
アリババは笑いながら言っているのだろう、と。
見なかったけれど、それが分かった。
だからこそ、振り向けなかった。
天幕を出て、どこへ行くとも知れず足の向くまま歩く。
早足で、きっと今の自分はひどく険しい顔になっているのだろうと思いながら。それでも、足は止まらなかった。
胸中に広がる苛立ちにも不安にも似た思いを、ただ持て余しながら。
握った拳で誰彼構わず殴り飛ばしたいような。
誰にとも知れぬ叫びをあげてしまいたいような。
本当は、分かっている。
この苛立ちは、他でもない自身へ向けられたものなのだ、と。
守ってやる、とそう言ったのに、誓ったのに。
まるで何も出来ていないことが情けなくて、悔しくて。
どれだけ背伸びをしても、未だ子供でしかないこの手には、ほんの僅かな力しかない。
そしてそのちっぽけな力だけでは、守ることなんて出来なくて。
アリババは、自分に寄りかからない。
信じてもいるし頼ってもいるだろう。けれど、不安を吐露したりは、しない。
二人は兄弟にも似た立場でありながら、根っこの部分では対等でありたいと、そう思っているから。
カシムがそう思っているのだから、アリババもまた同じなのだろう。
背中を預け合う、そんな仲でいたい。
けれど。
どこかで、不安をも預けて欲しいと願う自分がいることにも、気付いていた。
カシムと同じようにスラムで生まれ育ったはずなのに、アリババの心根はひどくまっすぐで、そして優しい。
心配だから、なんて臆面もなく口に出せてしまう程に。
守りたいと思うのは、その心を。透き通った色をした、その瞳を。
告げたのならきっと、守られるほど弱くねーよ、と怒るに決まっているだろうけれど。
思う。
強くなりたい。力が欲しい。
ちっぽけな不安など拭い去れる程の。
あいつらの笑顔を守れる程の。
そんな力が、この手にあればいい。
拳を握って、ただ願う。
いつか、そんな力をこの手に宿そう、と。
今はただ、傍らにいることしか出来なくても。
END
カシムが力を欲した最初の理由。
は、やっぱり二人を守るためだと思うのです。